三輪緑山20年の歩み
開発当初の経緯・・・
創立初期の経緯、歴史が作られる苦労を、創立20周年を記念して三輪緑山自治会が制作した「三輪みどり山」から抜粋しました。
昭和41年(1966年)~44年
野村不動産が地元地権者と土地買収の交渉を開始し、40年台前半に買収が本格化した。
「開発予定地は多摩丘陵の南端に位置し、標高は最高80m、最低32m。沢沿いに一部田畑が耕作されていたが、ほとんどが雑木林や植林で、民家は一軒もなかった」(三輪土地区画整理組合発行の「ふるさと三輪」より)
昭和45年(1970年)~55年
開発予定地が市街化調整区域とされ、ほぼ10年間、開発が不可能になった。
野村不動産の話:「昭和45年頃、計画地の90%を買収した時点で、開発地が市街化調整区域に編入、宅地造成ができなくなった。社運をかけたと言っていいプロジェクトだったので大変困りました。しかしその後、町田市の公共下水道施設を作ることを条件に開発OKになりました」
12月4日 市街化区域となり、東京都が土地区画整理事業を認可。事業面積は71.3ha。
12月14日 起工式。 土木工事は大林組が担当し、7年後の昭和63年6月に土木、水道、街路灯設置、ガス等の工事が完了した。
昭和57年(1982年)
6月7日 町田市立三輪小学校が開校。
昭和60年(1985年)
5月25日 野村不動産が第1回目の分譲を開始。
下記は三輪緑山分譲地で採用され、その後の開発モデルとなった野村不動産の新しい施策です。
またグリーンベルト、ケーブルTV施設等を維持するため、戸建て住宅地としては珍しい管理組合が設立された。
①グリーンベルトの設置
②CATVの導入(各戸のテレビアンテナの排除)
③メイン道路からの電柱排除
④交通安全対策としてボンエルフ、ハンプの設置
⑤メイン道路にけやき、ざくら、かえで、ゆりの木を植栽
⑥集中ゴミ置き場の設置
⑦地区計画の策定(宅地は150㎡以下に分割できない等)
8月末から第1期の分譲住宅が次々に竣工。
抽選に当たった方々の入居が始まり、小田急、神奈中の路線バスも9月2日に運行が開始された。
11月2日 住宅地内にナイス(セイフー→グルメシティ)が、次いで鈴木商店がオープンした。
鈴木商店・鈴木明美さんの話
「うちが開店した頃はまだ入居者が少なかったわね。中央公園付近と一丁目の奥に少し。主人は八王子の方で修行中でしたから、お店は私一人。9月に生まれたばかりの娘をおんぶしながら、しっちゃかめっちゃか。その娘も成人式を迎えました」
6月8日 鶴川縁山住宅地自治会の第1回総会が三輪小学校プレイルームで開催された。会員総数195、出席者26名、委任状54名。会則、会費、予算、役員などを多数で承認ないしは選出し、正式に自治会が発足した。
6月14日 第1回役員会を野村不動産現場事務所で開催し、同21日に第1回班長会を同事務所で開いた。
自治会会則に基づいて、以下を決定。
①コミュニケーションの拡大を目指す
②会員相互の意思疎通を図る
③清潔な住環境を実現する
④明るいコミュニティーを目指して種々の事業計画を推進する中でも最大の目標は集会所の完成であった。
7月12日 ゴミ集横所の割り当てを決定。掃除は当番制にした。
8月1日 会報「みどり山」第1号が発行された・・・全8ページのささやかな小冊子だった。
12月28日 自治会集会所に関して補助金300万円の交付が内定。
1月25日 鶴川緑山住宅地自治会として初の会員名簿を発行した。
1月26日 集会所建設を野村不動産建築部と契約。本体工事、家具・什器備品、造園工事で3,500万円
3月8日 初の防災訓練を実施。町田消防署、市防災課、地元の第3分団9・10部消防団の協力を得て、70名以上が参加した。
4月7日 集会所が完成し、竣工式が盛大に挙行され、大下町田市長は祝辞の中で「電柱1本も見えない主要道路はこんなにも印象的なものか」と当住宅地の住環境の素晴らしさを讃えた。
8月30日 第1回夏祭り・・・業者を入れない手作りの夏祭り。管理組合、大林組、久光学院、鈴木商店などの協力があった。子どもみこしの住宅地内ねり歩き、模擬店、花火大会など盛りだくさんだった。
12月12日 自治会臨時総会を開催。議題は新しい町名に関する件。賛成多数により町名は「三輪緑山」、住居表示は「○丁目○番地○号」と決定した。他の候補名は鶴川線山、緑山など。従来は三輪町○○○○番地だった。
2月26日 第1回作品展。会員の作品30点余りを3日間にわたり集会所に展示し、多くの観覧者があった。
2月28日 第1回バザールを開催。各家庭の不用品などを集会所に持ち寄り、展示・即売。
5月1日 緑山球場がオープン・・・夜間照明設備がある本格的野球場です。
6月5日 あきかん追放運動に会員450名が参加。
6月19日 緑山囲碁同好会が発足(住宅地内の同好会としては初)。
7月26日 自主防災訓練計画書を町田消防署に提出。
8月28日 第2回夏まつり(子ども会との共催)
11月~ この間、住居表示の変更に伴う諸事務処理があり、自治会は多忙を極めた。
12月未 昭和662年12月16日以前に当住宅地に住民登録している
12月31日 会員所帯数470戸、共同住宅8所有者になった。
3月31日 会員名簿第2号を作成。会員数が約500所帯となり、全体計画の約50%が入居したことになった。
5月19日 市役所公園緑地課より、中央公園、けやき公園、ゆりのき通り公園の清掃管理費を受託した。
6月14日 地域内清掃実施計画書を全戸に配布、地域内清掃を実施・・・458名の住民が参加した。
8月28日 第3回夏祭り・・・「27日実施の予定でしたが、当日は朝から台風。前日張ったテントも飛ばされてしまいました。8月に台風が来るとは、予想だにしてなく、レンタル器具も1日契約。業者の好意で延長分は無料にしてもらいホッとしました。翌日は台風一過の晴天。抽選券付前売り券、ビンゴ、風船、ビヤホールなどの新企画も好評でした。子供たちが歓声をあげながら楽しんでいましたよ」
9月1日 総合防災訓練を実施。学校用地(現スポーツ広場)で257名が参加した。
11月12日 鶴川縁山倶楽部(現メガロス)がオープン。
1月1日 会員数が600を超えた。
1月31日 鶴見川クリーンセンターの通水式
5月29日 町田警察署三輪駐在所が開所し、愛宕巡査が初代“駐在さん”として着任した。
6月3日 あきかん回収行動を実施。参加者650名で、2回目は10月21日で720名。
9月上旬 三輪小通学路(通称・へび坂附近)にガードレールが完成した。
●集会所の利用がこのところ活発で、自治会活動の他、囲碁、ジャズダンス、ヨガ、パンフラワー、墨絵、俳句、書道、詩吟などの同好会活動にも多用されている。
●最近、住宅地内にタヌキがよく出没する。
●自治会会員が急激に増え、事務量もそれにつれて増加したため、役員だけでは対応・処理しきれなくなり、今後、書記制を採用することとなった。
1月31日 会員名簿第3版を発行し、全戸に配布した。
3月10日 高齢者をお招きして茶話会を実施。今後も継続することに。
3月31日、会員数789戸となる。
6月26日 書記制を本年度より採用した。6人体制で6人づつローテーションを組むことに。
9月9日 三輪4町会合同の防災訓練が、消防団の指導のもと、スポーツ広場(旧学校用地)で実施された。
10月1日 今月より住宅地内の公園等の定期清掃(毎月第2日曜日)が開始された。
11月23日 作品展を集会所ホールで開催。出品者は72名、作品点数106と大幅に増加。観覧者も200名を超え盛況だった。
そして、その後も発展し、活発な活動が繰り広げられています・・・
平成4年(1992年)
1月12日 三輪沢谷戸区画整理事業にともなう準備委員会と連絡協議会が発足した。
4月1日 会員数が880名を超えた。
5月から ゴミ集積所のカラス対策としてネット購入、 補助金を支出することにした。
8月22日 夏祭り子供神輿が復活した。
9月20日 敬老茶話会を開催。
10月4日 緑寿会準備委員会を発足。
11月1日 集会所使用規定変更(有料化)
11月14日 臨時総会を開催。テーマ沢谷戸地区と当住宅地の接続道路の問題
12月 緑寿会員募集。87名の入会者があり会員数成立。
平成5年(1993年)
1月24日 緑寿会発会式
4月23日 緑寿会第1回総会
地元の少年野球チーム「レッドファイアーズ」の6年生チームが読売地区大会で連続優勝。東京都代表として千葉、埼玉、神奈川の代表と東京ドームで雌雄を決することになった。
夏祭り・・・前日が台風で、雨天だったため、設営は当日。当日の設営にもかかわらず、立派な舞台ができあがりました。
「台風一過の当日朝、広場のあちこちに水溜りができていました。その水をかいだしている方がおられました。その祈るような姿を私たちは決して忘れないでしょう」
平成6年(1994年)
地域住民待望の町田郵便局(橋本局長)が開局した。三輪土地区画整理組合の理事長だった内田博さんが敷地と建物を提供した。
平成10年(1998年)
どんど焼き。前日は大雪でスポーツ広場は一面の銀世界。
子供たちは元気にお汁粉や焼き芋を楽しんだ。
平成11年(1999年)
緑寿会と子ども会と協力して、交通事故抑止キャンペーン(交通安全講習会の開催、交通安全施設の巡回点検、通学路の保護誘導活動など)を継続して実施・・・現在に至る
★クリスマス・イルミネーション★
Xmasの恒例行事となっています。
平成12年(2000年)
”駐在さん”は三輪と緑山の守り
田中さんが5代目の”駐在さん”として着任。